常に何かを考えるということ
- 明日の予定は?
- 次の仕事の時にやるべきことは?
- 次の休みは何をする?
約束に遅れたことは1度だけあった。とんでもなく疲れていた日だった。
その日は学校を休んだ。教師や周りの友達の評価が気になった。
それから常に時間を気にするようになった。
仕事で遅刻がないというのはいいことだと思う。
けれど同時に健康的な意味合いで何かを失っているようにも思う。
常に気を張っていて、休みの日でも次の日の仕事のことを考えていたりする。
休めていない。
遅刻してきても悪びれる様子もなく、特に罰が下るわけでもない人たちを見ていると、私も遅刻したいなと思う。
でも他人の目が気になる人間はそんなことを周りにわざわざ言ったり、したりしない。
私もその一人。
けど、なんだかんだ遅刻する人の方が人間社会で優位に立てることが多くて、
人々に愛されるようになってる気がする。
周囲から見下されるという場合もあるけど、
出来ないことを肯定されている環境は羨ましくもある。
それで苦しんでいる人もいるって?
そうかもね。でもそれが許されているって優しい環境だね。
都合のいい人間
一人で大抵のことは出来るというのは手間がかからなくて
上の人間的に都合がいい人材でもある。
ほっといても問題を起こさないし、大体1人前の仕事はするから。
でもそれはある意味ロボットのように見えているという意味合いもあると思う。
なんでも出来るロボットになら仕事を押し付けてもなんの罪悪感もわかないだろう。
この社会は何でもいうことを聞くロボットのような人材を求めている。
私もそのロボットの一人で、替えがきく存在。
必要とされてはいるけど、代わりなんていくらでもいる。
期待されていないって素晴らしい
替えがきく人ってことは、期待されていないってことでもあると思う。
期待されていないっていうのは、気持ち的にすごく楽だ。
プレッシャーを感じなくて済む。
何も求められていないし、何かをする必要性もない。
誰も自分を見ていない。なんて素晴らしいことだろう。
そもそも期待って人が他人に勝手に持っている希望みたいな側面があると思う。
誰が誰の期待に答えようが答えまいが、どちらだっていいのだ。
勝手に期待しているだけなんだから、想像と違ったって思われてそれで終わり。
人は思っているより他人に興味がない。
考えるだけ無駄な話だ。