はじめまして。数年前に自身がHSPだと知りました。
この記事ではそんな自分の
- 「自己紹介」
- 「今までどんな人生を送ってきたのか」
- 「ブログの立ち上げの経緯」
などのお話をしたいと思います。
自己紹介と今までの人生で体験したこと
最終学歴専門学校卒業の少し絵が描ける成人済みの女性です。
専門学校は絵関係の学校で、ゆくゆくは食べていけるくらいになれなくても
- 「絵に触れていたい」
- 「絵を関わっていたい」
と思っていた学生時代でした。
専門学校を卒業後、すぐには絵関係で食べてはいけなかったため、
実家がある田舎でフリーランスとして活動しながらアルバイトを始めました。
よくない職場が続く
そこで数年間働き続けたところ、
- 時給が突然200円下げられたり
- 何故か店主の送り迎えをさせられたり
- 店主が怒鳴るようになったり
などのストレスからとある病気になり、勢いのままその職場を退職しました。
その病気の話はまた別の記事ですると思いますが、手術をすると一生薬を飲み続けないといけない系の病気です。
数ヶ月間の療養の後、手術をして、とりあえずはその病気は一応治った形になります。上の職場の近くで働きたくないという気持ちから、妹が住む都会で一緒に住むことになりました。
家の近くで夜勤。時給1300円に惹かれてその職場で働くことになりました。
そこは工場系の職場でした。その工場に就職するもそこは
- 1週間に5人も辞めている
- 正社員が派遣社員、バイトのような下の人間に怒鳴る
- 正社員が外国人を見下している
- 職務内容になかった種類の仕事を初日から振られる
- 連絡事項が伝わっていない
- ずっと人手不足
といったことが派遣社員の口から出るくらいどす黒い職場でした。
つらさが日々日々増していき、毎日夜になると涙が止まらなくなった頃。私は生まれて初めて精神科にお世話になりました。(適応障害でした。)
本当に地獄のような場所でした。そしてこういう風にも思いました。
「ストレスでまた違う病気になったらどうしよう。」
最初の職場の時、ストレスで病気になった時のことがずっと頭を過っていました。
精神科の先生からは休職を勧められました。
休職するかどうかはまた考えてきて、必要ならそれ関係の書類を用意してくれるということで、一回目の診療は終わりました。
帰宅してからネットで適応障害のことを調べました。
私の場合は
- 夜になると涙がずっと出続ける
- ものすごく不安な気持ちになる
- 仕事のことを考えると涙が出てくる
- 自分以外の人は普通に過ごしているのに自分が駄目な人間だと感じる
といった症状が見られました。
適応障害の場合は、ストレス因から離れると多くは症状が改善すると言われています。
しかしその適応障害を乗り越えて復帰したとしても、結局その場所への居にくさなどでその職場を辞めることが多いことなども体験談などで見られました。
私の頭の中には
- 「とにかく早くここから離れたい」
- 「こことは関わりない場所に行きたい」
- 「こんな気持ちのまま生きてはいけない」
という気持ちがとにかく強く、私は最終的に休職はせずにその職場を辞めることにしました。
HSPを知った日
仕事を辞めてしばらく落ち込む日々が続き、何もせずに過ごしました。
「何もしない」というのは私的には心が休まるものではなく
- 「仕事を見つけないといけない」
- 「成人しているのだから自立しないと」
- 「税金が払えなくなったらどうしよう」
- 「普通に生きていけるのか」
など本当に四六時中心配事が尽きず、とにかく不安に潰されそうな日々が続きました。
そんな日々を過ごしている間、Twitterでやり取りをしている時に、「HSP」という言葉を知りました。
HSPには4つの特製があります。
・考え方が複雑で、深く考えてから行動する
・刺激に敏感で疲れやすい
・人の気持ちに振り回されやすく、共感しやすい
・あらゆる感覚がするどい
引用:HSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)とは?~HSPはうつ病になりやすい!?~|うつ病治療の新宿ストレスクリニック
これら全てに当てはまるのが「HSP」です。
逆に1つでも当てはまらなければ「HSP」ではありません。
この「HSP」という言葉との出会いが私の考え方を変えるひとつのきっかけになりました。
- 考えすぎなところ
- 大きな音が嫌いなこと
- 疲れやすいところ
- 自己否定が強いところ
- 他人が怒鳴られているのに自分が辛くなるところ
といったことはHSPの特製によるものでした。
このHSPは病気ではなく、気質なので、治したりすることができません。
「治すことができないのか…」と一度かなり深く絶望しましたが、向き合い方を変えることで私は少しだけ生きるのが楽になった気がしました。
HSPのことを知ってからHSPについて調べました。
- どんな職業が向いているのか
- どんな生き方をしたら楽なのか
- どう向き合っていくのか
- 苦手なことはどうしたらいいのか
調べていく中で、HSPに向いている職業の中に「クリエイター系の仕事」というのがありました。
ここから私はまた絵関係で食べていくことを考え始めることになります。
それからTwitterなどで絵を発表するようになり、まだ食べていくというのには到底手が届きませんが、少しだけですがお仕事を貰えるようになりました。
とはいっても駆け出し中の駆け出しなので、ずっとそういったお仕事を貰い続けることができるかと言われると限界があると思っています。
毎月の税金と生活費を貯金を切り崩して生活する日々を送っています。
ブログの立ち上げ経緯
上記のような人生を歩んできて、工場を辞めた当時は本当にずっと苦しくてつらくてTwitterばかり眺める生活をしていました。
あっという間に時間が過ぎて、そして過ぎた時間の間に「何かできることがあったんじゃないか」と罪悪感に支配される。
そんな日々がしばらく続きました。
「そういう日々にもいつか終わりが来るかもしれない」
そういう風に思わせてくれたのは、
「ブログで体験談の記事を書いている方」
「TwitterでHSPの知識や体験をツイートしてくれている方々」です。
そういった体験談を受け取ることで気持ちに寄り添わせてくれたり、
知らぬ間に同調してくれてたり、自分だけではないと思わせてくれることで、なんとかつらい日々を乗り越え続けられています。
そんな方々のように自分のこの気持ちで何かを発信することをしたい。
そういう風に思い、このようなブログを立ち上げました。
少しでもHSPの方の心に響けば嬉しいです。
おわりに
今回は私の自己紹介と今までに体験したことのお話をしました。
あまり長くなりすぎないように所々カットしてお話したので、また詳細は別の記事で書きたいと思っています。
自身が「HSP」だとということを知ってからの私の人生は大きくではないですが、ちょっとだけ変わりました。
それを「知ること」で気持ちが少しは楽になるという風に感じる方も中にはいるのではないでしょうか。
そういった方々にいい意味で影響を与えられるようなブログにしていく予定なので、少しお付き合いしていただけばと思います。